妙にいい天気だったのでどこか出かけたくて、ドライブしたくて、とりあえず福井に来てみた。
久しぶりに車で福井行くと、やっぱちょっと遠いよなぁ。小松からだと金沢行くほうが近い。まあ福井だと健康的なご飯が食べられるのが良いな。


父親が妙に酔っていて(仕事がかなりテンパってるらしく酒量が増えている)、なんだかよく分からん話を滔々として翌午前1時。つーかいきなり幸せって何とか問われても。相手がマサノレ君だったらたまにやっていたような形而上のお話。それよりうちの父親は年齢も年齢だし個人の性格としてなんというか頑なというか自分が正しいと信じて疑わないような人なので空回るすれ違う。そもそも酔っ払いとまともに話す時点で期待なんかしてないけど。
違うのだ。あの人は、今まで自分が家族のためだと信じて動いてきた中で、その結果、家族が幸せであるのだと、自分の道が正しかったのだと、再確認したいだけなのだ。たぶん。今更そんなこと?と思わなくも無いけれど、じゃあ父親が「これをすれば家族のためになるだろう」と思っていたことが果たして事実私たちのためになっていたか、逆に、これをしてくれたら、これをしないでいてくれたら良いのに、と私たちが思うことを彼はしていたのかというと…首をひねらざるを得ない。が、今までそうやってやってきたんだから。母親も私も姉も弟もたぶん分かっている。そんなこと問われたって、その答えが否であれ応であれ、今後の変化は、おそらく無い。変化があるとすればマイナスにしかならない。
つーかアンタほんとに妻第一なら煙草の副流煙吸わせない筈だし、ご飯を美味しくなさそうに食べたり、「ありがとう」ひとつ口に出さなかったり、そんなことしない。で、そんなこともしないで、お前のために今まで自分の夢を捨ててお前のためだけに頑張ってきたんだからそれでお前が幸せじゃなかったら今までの俺は何なんだって感じで問われたらそんなん「幸せだよ」って答えるに決まってるじゃないか。


子供ながらに自分の親を一組の夫婦として観察したときに、どちらが「より我慢しているか」なら明らかにそれは母親だった。いや、父も会社でずいぶん我慢をしてきたのだろうけれど、子供の目には映らないもの。いまさら、父親は「俺はお前のために頑張ってきたんだからお前は幸せなはずだ」なんて言い出したって。ねぇ。母親だって、父親のために色んなこと我慢して耐えて何も言わずに毎日家事をして私たちきょうだいを育てて仕事だってしていたのだ。「私が毎日ご飯を作っているからあなたたちが仕事できたり学校行けたりしているのよ」なんて一言も言わない。


今まで必死でやってきて、今になってやっとそんな事を一歩止まって「正しかったんだよな?」なんて省みる余裕が生まれたのだろうなぁ。自分たちの親とか親戚とか田舎とか、そういったものを全部捨てて、逃げて、否定されて衝突して、他の何にも頼らずにきたんだ。そんなの知ってる。私からすれば「今更?」って思えるくらい、我が家としては当たり前なのに。もちろん伝統的日本文化からズレているのも分かってるけど、いまどき家系が〜とか血筋が途絶えて云々とか家と家のつながりがどうこう、なんて、頑なに守るべき価値観だとも思えない。人それぞれだろうけども。


あー。酔っ払いめ。で、あれだけ論をぶつけて、翌朝覚えているかっつーと、きっと、まともには覚えていないのだろうな。
やれやれ。