ふと、素朴な疑問。
中国の詩人たちがよく「誰々に贈る」とかって題の詩を書いて互いにコミュニケートしていたけど、そういうときに「李白に贈る」とか「杜甫に寄せて」とか「李白を懐かしんで」みたいな、姓+名で名指しをするのって失礼に当たらなかったのかな?
というのは、昔の中国人は字(あざな)があったじゃないか。名で相手を呼ぶのは失礼(か、目上から目下への場合)で、代わりに字や号や階級名とかで呼んでたはずなんだ。
それがどうして詩の文面になると姓名呼ばわりが許されるんだろう。なんで李太白や杜子美なんて書かないんだろう。もう「そういうもん」なんだろうか。対面では杜甫李白に「李白さん!」なんて呼びかけた筈がない。杜甫はそんなキャラじゃない、とかいう次元ではなく、常識的にありえない。(個人的に「太白さん」に「子美くん」とかだと萌えだが)
何かの全集から誰かに贈る詩を抽出して調べた訳じゃないけど、実際どうなんだろ。他の詩人も皆そうなんかな。あ、でもさすがに相手が官僚とかお偉方の場合は李杜だって丁寧に扱ってるか。詩人同士とか仲の良い間柄なら許されるのかな。


うーん。謎だ。誰か知ってる人がいたら教えてください。本気で。
ていうか字の知識があって、漢詩(主に唐詩)も色々読んでたのに、今まで疑問にも思わなかったよ。そんな自分もどうよ。