文系女子としては、こう思うよ

いけないいけない。つい理系へ傾いた憧れと意識から上のような「素の発言」をしてしまった。
コウモリは飛べても哺乳類だ。トンボは飛べても昆虫だ。いくら理系好きでも文学部だった。
そしてその文学部の仲間たちは決して理系に傾かなくても私の素敵な仲間たちなんだった。
だから私は書かなくちゃならない。「議論好き」と上で書いたのだから、実行しないといけない。
ただ、徒然に書いていたら上の記事ができたのは本当。


さあ改めていってみよう。引用元は全て上の記事で紹介しているブログです。文脈はそちらで確認してください。

 ここで言う「理系の女の子」は理系を専攻している高校生・大学生をさします。特に国立大学の理系に通う女子大生を指します。
 「普通の女の子」は短大および四年制大学の文系の女の子を指します。髪をくるくる巻いて、化粧もばっちり☆ディズニーランド大好きな一般的な女の子を指します。女性誌でいうなればJJ・CanCamおよびWith・Moreと言ったところでしょうか。世間一般にもてはやされる女の子のタイプです。

「短大および四年制大学の文系の女の子」の大半が「髪をくるくる巻いて、化粧もばっちり☆ディズニーランド大好きな一般的な女の子」なわけではありません(部分否定)。確かにそういう人もいますが、少なくとも私の学部には少数派だった。ここにまず私が否定しなきゃいけない点がある。
「髪をくるくる巻いて、化粧もばっちり☆ディズニーランド大好きな一般的な女の子」が必ずしも文系の学問を専攻しているわけじゃない。「文系の」じゃなくて「普通の」という言葉を使っているけれど、「理系」の対義語が「普通」じゃないのはブログ主さんも承知のはずだ。なのに「文系の女の子」=「(ここでいう)普通の女の子」というのが、どうも、引っ掛かる。文系、という言葉を便宜的に使っているだけかもしれない。

 四年制旧帝大国立大学にいくレベルの学力があれば小学校・中学校と進む中でクラス・学年の成績の1番・2番キープは当たり前のはず。ものごころもついて、自分の見た目にもこだわりはじめる、もっとも女の子らしく生きるべき小学校・中学校の時期、まわりの男の子よりも出来がよいと何が悪いか。
 「男の子に頼れなくなる」のです。

だから理系の女の子はプライドが高い、という論。
四年制旧帝大国立大(の理系学部)、ということだと思うよ。んん、しかし「理系女子は」という論旨であって「旧帝大の理系女子」じゃないので、これは、どうなんだろうね。
国立大にしても文系は…私が入れるくらいだからね。得意科目が得意なら入れるんだよ。一応いわゆるナンバースクールですけど。ちなみに学年1位2位キープは当たり前って…えぇぇぇぇ。旧帝大すげーな。そんなん高校地学でしかとったことねぇ(笑)。中学までなら数学も含めて上の中くらいをキープしていました。社会科は中の中くらい。
そして「まわりの男の子よりも出来がよくないと、男の子に頼れない→プライドが高い」は文系理系関係ない気がする。文系に秀でた女の子だって当てはまると思う。
もしかして「文系の女の子」というのは、「文系学問に秀でた女の子」ではなく「勉強の出来ない女の子」を指しているのではないだろうか。だとすると、ここは、私の大好きな文系の仲間たちのために声を高くして反論しなきゃならない。せめて「算数や理科の苦手な女の子」あたりに留めておいて欲しいと思う(そうなるとこの点のみにおいて反論のしようがない)。

 いろいろな知識・話を知っていると何が本当で何が間違いなのかが分かったりします。そんな時気になることがあると、他の人とあーでもない、こーでもないといった議論をするのが好きです。

これも文系学問でも言えるんじゃないのかなぁ。角が立つから友達同士でやらないだけで、ちゃんとやろうと思えば、充分な知識のある人同士ならたとえば「杜甫李白どちらが好きか」で盛り上がれる。ちなみに私は杜甫が好き。まあ杜甫vs李白で盛り上がれる女の子が「普通の女の子」かどうかは疑問。やっぱり「普通の女の子」は「文系の女の子」じゃないみたいだ。

ましてや普通の女の子が興味のない話、例えばパソコンの話しかできないような人は群れから離脱せざるをえない。

これは、パソコンの話「しか」できないところに問題があるわけです。まあ、話の受け手の姿勢にもちょっと問題があるのかも知れない。じゃあパソコンの話だけ聞いてやれば良いのにね。へぇー最近はそんなこともできるんだ、そんなことも知ってるんだ、凄いねぇって話が弾むのだって楽しいと思うのに。
私個人的には、わざとちょっと軽い話をしようと思って異性のタイプを訊いたらいつのまにか小説談義になっているような、そんな文系の先輩が大好きですけど。

とくに理系眼鏡男子は最高だ

激しく同意!! でも、文系眼鏡男子も良いものですよ。普段コンタクト使いでたまに気分で眼鏡をかけたりすると更に良いよ。


こんなものだろうか。文系の人間として、文系の友達や仲間がいる人間として、これはちゃんと書いておかないといけないと思ったんだ。
どうも文系蔑視が含まれている気がしてならないなぁ。もちろん、そんなつもりが無いのは分かるんだけど、どこか無意識にあるんじゃないだろうか。
もちろん、文系専攻と理系専攻とに分けてみて、その中で「髪をくるくる巻いて、化粧もばっちり☆ディズニーランド大好きな一般的な女の子」がどちらに多いかを比べるとそれは明らかに文系なんだけどね。人数でも割合でも。


やっぱり、文系か理系かだけで人を判断したり分類したりするのは無意味だよなぁ。
「理系は○○だ」というのならじゃあ「文系は△△だ」あるいは「文系は非○○だ」を完全に主張できるのか、というと、必ずしもそうじゃない。「○○の傾向にある」でも、同じ。
「理系かそうじゃないか」なら、うーん、ちょっとは考える。私も基本的に理論より感覚で物事捉えてるからなぁ。
冨樫なんて理系に見えてあの人は絶対的に文系の人間だけど。視点が文系的。
あー、なんか、文系でも経済とか心理学とか法学はちょっと理系っぽいなぁと思うんだけど、どうだろうね。色彩学とかもおもしろいね。看護学とかは女の子ばっかりか。んー、学問にも色々あるから。
芸術系の人は男女問わずまた別格だと思う…。(と、シノダ兄弟を思い浮かべつつ)




あ、上記ブログ記事のコメントもざっと見てみた。最初ちゃんと読んでたんだけど多いので後半はざっと。
理系男女からの同意と、文系女子からの、私のこの記事と似たような意見がいくつか。
あと矛盾点を指摘していた人がいたけれどその指摘は的外れ。だってその「矛盾している」というのがある意味での結論だから。理系女子はフツーの女子じゃないけど女なの、という。ていうか矛盾してない人なんていないし…。あんたはそんなに一貫性のある人なのかと問いたい。
でもやっぱり、性別や専攻が個性に影響を与えてるのではなくて、性別と個性は関係なく、個性ありきで専攻を選んでるのだから、そもそも矛盾を見つけているその着眼点こそが主旨を理解してない証拠。
「普通の女の子」がステレオタイプすぎる、という意見があった。そう、そこが確かにネックだ。「普通の」って何? 「理系」って何? その定義を万全にしてからじゃないとこういう反論がいくつも起きるよ。すくなくとも「文系の女の子」で一括りにできるほど単純じゃないよ。