できれば誰にも読んでほしくない、できれば私だって書かずにいたい、この記事を書くことは私の本意ではないんだけど、
吐き出さずにいられない!!


なんか、もう、呼吸困難に陥るかと思った!!
何って、あの、ケータイ小説で大賞をとった作品を、頑張って10ページまで読んでみたんだ!!
頑張ったと思う。1ページ目でもう閉じようかと思った。頑張ったけど10ページでもう限界だった。
うああああああああ、と頭を抱えて項垂れた。まじで。
はあ……ほんとに、この精神的なショックというのは何だろう、正体は……。


皆も勇気を出して頑張ってとりあえず1ページ目だけでも読んでみれば良いと思う! そしたら私の気持ちが分かってもらえると思う!
おんまえその辺の女の子のブログ見てたってそんなあほな文章載ってねーよ!みたいな!(←これは意図してやった、後悔してない)
つーか、いやね、正直、受賞ニュースから著者の写真を見た時点で、読む気が失せたんだよ。ああ…………、著者の容姿がどうこうではなく、もっとこう、別の問題。


あー……。疲れた。すっげー疲れた。
いや、たぶんね、11ページ目から先はね、きっと、今まで男なんかアクセサリー程度にしか思ってなかった女の子が、次第に彼氏を一途に想うようになる、きっとそんなハートフルな恋愛小説が書かれているのだろうと好意的に勝手に解釈しているわけだけど、とにかくもう「読ませる」ターゲットに明らかに私は入っていない。
無理、もう無理。あれを読むくらいなら私は李白の詩を読みます。本気で。
というか、あれを読んでいる読者って、読者って……!!


いや、分かってるんだよ、今私がここに書いてることはとても卑怯で、わずか冒頭の10ページを読んだだけで全て判断して頭ごなしに否定して、書いた人も、読んで感動した人も、これに賞を与えた側も、全てを傷つけていると思う。ただ、それを、私は自覚した上で、ここに吐き出さざるを得ないような、とんでもない絶望や憤慨を今感じてるわけですよ!! なんかもう混乱していて日本語が既におかしいけど気にしちゃだめだ。
とても狭量で、新しい文化を受け入れることの出来ない頑固な大人になっているのかもしれないけれど、でも、これは、だめだろう!?
アリかナシかでいえば、アリだ。それは認める。まあ、アリだとするじゃないか。でも、私は今の時点で、11ページ目以降を読む価値はないと判断したよ。




実際に最後まで読んだ人で、「いや、あれは最後まで読む価値のある小説だよ!」と主張する人が居たらコメントお待ちしてます。ネタバレOKなので頑張って私を説き伏せてください。どこにどんな魅力があってどんな価値を見出したのか教えてください。単に「面白かった」とか「感動した」とかは要りません。他人に分かるように、どこがどう面白かったのか、レビューではない推薦文をお待ちしてます。あと「面白くなかった」情報も特に要りません。







追記。
今まで活字で本を読まなかった層が、なにはともあれ文章(認めがたいが一応文章としておこう)を読むきっかけになる、という意味での価値はあるのかもしれない。かもしれない。
ただしその価値は、普段から本読む私には無用の価値だ。
5年後くらいにはケータイ小説から(笑)の接尾辞がとれるだろうか。ケータイ小説
俳句と川柳が別物のように、ケータイ小説にも「小説」の名が付かない何か別の名称を与えるべきな気がする。俳句がもともとは俳諧だったのも踏まえたうえで。小説が格上だとかそういう話をしているんじゃない。
あのケータイ小説を面白いという人に私の書くものが伝わるのかどうか非常に不安だ。